キリスト教における「4つの愛」を学ぶ

聖書の中の有名な一節に、「神は愛である」(ヨハネ3章16節)という言葉があります。「愛」はキリスト教における神の属性の重要のひとつであり、使徒パウロはコリント人に宛てて書いた最初の手紙の中で「愛」について詳しく説明しています。「愛」はキリスト教の教えの中でも極めて重要な教理であり、西洋の文学や芸術を理解する上で欠かせない概念のひとつです。
一般的に日本語で「愛」と訳されている古代ギリシャ語には4つの種類(エロス・フィリア・ストルゲー・アガペー)があり、聖書に出てくる「愛」も使い分けられています。キリスト教の教理や文化を理解するためには、4つの愛の意味を知ることが大切です。

エロス(eros)-男女間の純粋な愛

多くの方は、恋愛小説・漫画やドラマなどで“エロス(eros)”という言葉を聞いたことがあるかもしれません。ギリシャ語のエロス(eros)を日本語に訳すと「愛」ですが、これは主に本能的で男女関係における愛(恋愛)を指す単語です。一般的に男女間(少数の人は同性間)で生じる恋愛感情は本能的なものであり、この「愛」は誰かほかの人から指示されたり教えられることで身につけるようなものではありません。ちなみに現代の日本語において、「エロス」という表現は性的な意味で使われることが多いようです。これに対して古代ギリシャ語において「エロス」とは性的な意味ではなくて、男女間の純粋な恋愛感情を指す言葉です。
実は、聖書の中で用いられている「愛」でエロスという単語が使用されている箇所はほとんどありません。このことから、他の人を愛するように、という有名なキリスト教の教理(命令)は本能的な男女間の恋愛感情ではないことがわかります。

フィリア(philia)-友人の間で成り立つ友情

古代ギリシャ語において、フィリア(philia)とは友人間で成立する「友情」や「友愛」を指して用いられています。これは一時的な感情などではなく、一度成立したらいつまでも永続的に続く友情です。順調な時だけではなく、苦難の時も助けます。
日本語の聖書の中で「愛」と訳されている単語の中には、「フィリア」も含まれています。例えばイスラエル人の先祖となったアブラハムは、最初に「神の友」と呼ばれた人間のひとりです。新約聖書の中でも「philia」は多く用いられていて、「神の友」という言葉において「philia」が使用されています。1世紀のキリスト教徒は、仲間の信者全体に対して抱く愛について「フィリア(友愛)」と表現していました。
このように聖書の中で使われている「愛」の一部はフィリア(友情)という意味が込められており、信仰を共にする仲間や神やイエス・キリストに対しても友情関係を永続的に続けるようにと教えられています。

ストルゲー(storge)-家族愛

ストルゲー(storge)-家族愛

ギリシャ語においてストルゲー(storge)とは、家族愛を指して使われています。これは血縁関係にある親子や兄弟の間で生じる「愛」であり、自然な感情のひとつです。血縁関係に基づく愛であるストルゲーは、男女間で生じる恋愛感情(エロス)と同じように本能的・動物的なものであり、誰かに教えられたり指示されて身につけるような理性的な感情ではありません。
親子や兄弟間の「愛」であるストルゲーは新約聖書中でほとんど言及されておらず、1世紀にイエス・キリストや使徒たちが人々に説いた「愛」には含まれていません。
日本人を含めて東洋人であれば、愛と聞くと男女間の恋愛感情(エロス)や血縁関係に基づく家族愛(ストルゲー)を思い浮かべることが多いでしょう。今でも中国や朝鮮では血縁関係を重視しますし、明治維新以前の日本でも血の繋がりが重んじられていました。これに対してキリスト教の文化では、聖書で多く用いられているフィリア(友愛)とアガペー(自己犠牲的な博愛)が重視されています。

アガペー(agape)-原則に基づく自己犠牲的な愛

ギリシャ語のアガペー(agape)は新約聖書の中で多く言及されている「愛」であり、神の属性のひとつである「愛」はアガペーのことを指しています。
福音書の中にある有名な「山上の垂訓」の中の一節(マタイ5章44節)には“敵を愛するように”、という教えがありますが、ここで用いられている「愛」もアガペーです。この単語は日本語に直訳することが難しいですが、「博愛」や「自己犠牲的な愛」と表現することができます。ギリシャ語の4つの「愛」のうち、アガペーだけは本能的生じるのではなく、学ぶことで理性的に身につけるという特徴があります。
ギリシャ語の他の3つの愛(エロス・フィリア・ストルゲー)は自分を愛してくれる人に対して抱く感情なので、恋人・友人・家族などに愛情を示せば自分にも返ってきます。これらに対してアガペーは自分の利益とは関係なく他人に示す無償の愛であり、見返りを一切期待しない利他的な博愛精神を指します。見返りを期待せずに自己犠牲的な精神で他の人に親切な行いをしたり愛情を抱くことは、本能的に生じるものではありません。キリスト教の教え(原則)を学んで獲得するように努力をしなければならないため、聖書の中では利他的で自己犠牲的な「愛」であるアガペーを身につけるようにと命令されています。

まとめ

聖書の中で多く用いられている「愛」は、アガペー(博愛・自己犠牲的な愛)とフィリア(友愛)です。特にアガペーに関する言及が多いですが、キリスト教の教えによると聖書を習得することで身につけることが求められています。キリスト教の文化において、自分に対する見返りを一切期待しない自己犠牲・博愛的な愛(アガペー)は、最も高尚で価値のある精神です。マザーテレサのような人物が、西洋のキリスト教徒の間で好意的に見られる理由も、アガペーの教えに関係しています。

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