| 山之内正俊 牧師 |
大学で物理を学んでいるとき、『善きサマリヤ人』に似た場面が頭から離れなくなりました。私が物理の本を読みながら道を歩いていると、瀕死の重傷を負った人が倒れている。私はその人をチラッと見ただけで、目を物理の本に戻してそこを通り過ぎる、という場面です。指導教授から、博士課程のある大学院受験を推薦された日のことでした。それから2週間以上もその状態が続き、勉強が手につきませんでした。私は焦りました。そのとき考えました。自分が今、生きることに意欲的になれるのは好きな物理の研究を一生続けられる目処がついたからか。いやそうではない。イエス・キリストを通して神様を知ったからだ。では、この焦りから解放されるためには、そのことに直接携わる仕事に就かなければならないということか。自分が牧師か。とんでもない。これが、私が牧師になる切っ掛けとなった出来事です。実際に牧師になる決意をし、神学校に行くまでには、この後、4年間の煩悶の日が続きました。
「生きる意味が分からない」新聞の相談室への投書です。「生きてみないと分からない」回答者からの答えです。この答えに満足いかないから、牧師を続けています。知るべき事実を知れば、生きる喜びが湧いてきます。その知るべき事実は、信じることによって知ることができる事実です。聞く、信じる、知る。まず聞くことから始まります。
教会に、聞きに来てください。あなたを造られた神様のことを。なぜ、自分が生きているのかが分かります。生きる喜びが湧いてきます。お待ちしています。 |
|